有明海の遙か彼方に雲仙の山々を望む大川市。
この名前の由来となったのが、九州最大の河川「筑後川」である。
阿蘇山の外輪山に源を発し、沢を集め、山々を下り、いくつもの支流と交わりながら有明海へ注ぐ。
一見、濁っているように見える河口部の水も、火山灰の影響なのだとか。
満潮と干潮の差が激しく、刻々と様々な表情をみせてくれる筑後川を眺めていると、私は「地球の呼吸」を感じる。
潮の満ち引きは、遠く月と関係しているというが、自然が奏でる波動とともに、私たちは呼吸をしているように思えてならない。
人が自然を育むのではなく、自然に育まれて人は生きているのだと、筑後川は教えてくれる。
筑後川は、かつては日本有数の暴れ川として知られ、一夜にして氾濫し田畑を荒らしてしまうため、別名「一夜川」と呼ばれていた。
常に大川の人々は知恵を出し合い助け合いながら努力を重ねてきた。
明治初期、筑後川河口付近では、干満の差が約6mの有明海の影響を受け、土砂の堆積が著しく、船舶の運行が困難になっていた。
困り果てた大川の人々は「砂防の父」とも言われるオランダの技術士、ヨハネス・デ・レーケを招く。
こうして誕生したのが、川の中央に一直線に伸びる「若津港導流堤」だ。その長さ約6km。
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